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ろりっこサクヤタン。この時、齢約400歳なり。。。ええええええっ!!!(笑)
ただ、いい歳こいて泣き虫だったという事も日本神話最強の神にかけてあるのかも?
とにかく、アカイイトの浅間サクヤルートをクリアーし、全ルートを制覇しました。
残り3つのエンディングが残っていますが、全てバッドエンドなのでプレーは切り上げます。
急いでやったので、何とか今月中に間に合いました。
やはりこのルートは断然面白いです。専門用語の連発にはぁはぁ興奮してましたし、千三百年にも及ぶ主との因縁に決着をつける、唯一のルートでもありますし、物語のスケールが他ルートとは違います。
完全体主様の登場シーンは鳥肌ものですね。このルートに関しては主様が二パターンあるので、エンドを全て集めるつもりでプレーして良いと思います。
元ネタに関しましては、よくあるような神話の部分しか調べていない、いい加減な作品と違って、記紀の神話以外の部分や歴史もよく勉強していると思います。
如何にも興味が無いのに仕事だから無理矢理調べさせられたような感じがする作品と違い、(ファンブックの方はそんな感じがしますが)好きで作ったのが伝わってきます。。。多分(マテ)
ただ、詳しく見ていくと、疑問に感じざるを得ない部分もあるのが残念です。
疑問点を列挙してみますと。
(1)主(天津甕星)の祖がヤマタノオロチであるというのは文献では根拠が無い。
(2)イワナガヒメの末裔という観月の民が、ヤマタノオロチの末裔という設定の主と対立しているのは、古典文芸にある程度通じている人には違和感があるかも?
(3)用語解説「陰陽寮」の内容が明らかに間違え。
(4)観月の民が「オホハツセ」か「ワカタケル」とでも呼ぶべきところを「雄略」と呼んでいる
(5)西暦699年か700年の話であるにも関わらず、「藤原の大臣」という言葉が出てくる。
(6)「藤原の大臣」に命じられ「鬼部」が派遣されたというが、この頃、石上(物部)麻呂の活躍で物部氏は復興している。そもそも580-590頃に「鬼部」が衰退して「鬼切り部」が出来たという設定の筈ですが。。。
(7)他ルートで女将さんが槐の樹齢が約千二百年以上と言っているのがややこしい。
(8)桂が観ていないはずのシーンで、観たことがあるかのような描写が登場する。
そんなのゲームなんだからどーでも良いじゃんと思うかもしれませんが(苦笑)取りあえず一つずつ詳しく解説しまっす。
お暇な方は読んでください。
(1)は今まで散々述べてきたので、省略。詳細はアカイイト元ネタ分析の 「古典における主(天津甕星・天香香背男)の記述」を見てください。
唯一つ、再プレーするまで忘れていたのが、小角が「年経た赤き蛇、輝ける星神よ」とか言っているんですよね。。。
もし、西洋神話とのクロスオーバーでこのような設定になったとしたら一寸安易な感じがします。
(2)イワナガヒメという名前からすると「ナガ」の字から寧ろ蛇神を想像しそうなものです。ヤマタノオロチ退治の舞台で知られている斐伊川に登場する蛇の女神はヒナガヒメであり、同じく「ナガ」の字を持ち、これはインドの蛇神「ナーガ」と同じであることはよく知られています。
それよりか、近松門左衛門作の浄瑠璃『日本振袖始(外部リンク近代デジタルライブラリー)』ではイワナガヒメがヤマタノオロチの化身として描かれています。『日本振袖始』自体は記紀神話を正しく伝えたものではないのですが、この話を知っていると、イワナガヒメの末裔とヤマタノオロチの末裔が争うアカイイトの設定には違和感があるかも知れません。
(3)用語辞典「陰陽寮」によると、「七〇一年に天武天皇によって開設された部局で、(以下略)」と書いてありますが、天武天皇は六八六年に崩御してますが。。。
正しくは、天武4年(六七五年)一月一日に陰陽寮を設置しています。
(4)これは恐らく多くの方が疑問に感じたと思いますが、8世紀後半に漢風諡号(天皇の死後に送られる「おくり名」ともいい、神武や崇神、雄略など漢字二字の諡号。762年~763年頃に淡海三船により撰定された)が出来る前よりも更に遡り、雄略天皇の時代よりも前から生きている観月の民が「雄略」という呼び方は有り得ないので……。(記紀には漢風諡号は出てこない。紀の表題に書かれているものは後世の追記)「オホハツセ」や「ワカタケル」とか呼ぶべきなんですけれどね。稲荷山鉄剣銘文風に「ワカタケル」の方がふさわしいと思うのですけれどね。漢風諡号を使いながら一方で「大王」という言葉が出てくる辺り、統一性に欠けています。
(5)主が封印されるのは役行者が流罪になった頃、即ち文武三年か四年(西暦六九九か七〇〇年)の頃なのですが、この頃の大臣は右大臣・多治比嶋であり、藤原不比等は大臣になっていません。
因みに藤原不比等が右大臣になるのは和銅元年(西暦七〇八年)三月なので、十年近い後になります。
(6)壬申の乱で大友皇子に最後まで付き従った物部麻呂(後の石上麻呂)は敵方だったのですがその忠誠心が買われたのか、天武天皇に重用され、かつての名門、物部氏の栄光を取り戻しつつありました。『日本書紀』で物部氏が優遇されているのは石上麻呂の影響があったとも言われており、この後、和銅元年(西暦七〇八年)三月には左大臣に任命されることになり、藤原不比等と並ぶ実力者になりました。
なので、鬼部を動かすとしたら石上麻呂の方がふさわしいのですけれどね。
ところで、アカイイトの作中では衰退したはずの「鬼部」のままなのは(3)で上げたように陰陽寮の設置が、主が封印された直後の年(西暦七〇一)と勘違いしていたからなのかもしれませんね。
(7)(5)でも述べましたように、主が封印されるのは六九九年か七〇〇年の出来事なので、女将さんの樹齢一二〇〇年以上という言葉は正確な年代を割り出すのにややこしくしている。
「以上」なので間違えじゃないのですけれどね。
(8)千羽烏月ルートでもあったミスですが、浅間サクヤルートにも千羽烏月とケイ君のバトルを見ていなくても、主(不完全体)戦でケイ君の構えを知っているかのような表現をしている不備がありました。
あと、個人的に気になっただけですが、多少不満なのは、雄略が臣に恵まれていたというのは同意ですが、鬼部の話をしているんだから物部目をスルーしないでー。(笑)文石オマロを退治した春日小野臣大樹は伝説上の人物だけど、春日臣は物部首を賜ったので関係ないとも言えないかな……。
(観月の民が持ち上げているスガルって蛇を捕まえてきただけじゃん。とか普通に考えたら負けなのですね)
なんか揚げ足取りのようになってしまいましたが、これも愛ゆえです。
野球やサッカーのファンが贔屓のチームに叱咤激励したり、選手起用についてあーだこーだ言うのと同じ心理だと思ってください。
アンチだったら多分ここまでやりませんので(笑)ただ、リメイク版が出るとしたら設定面を見直して欲しいです。
このルートを理解するには今更上げるまでも無い気がしますが、一にも二にも『日本書紀』です。
まぁ神話の部分は説明するまでも無いと思いますので、神代の部分だけ読むのではなく、それよりは雄略紀を優先して読んでください。崇神紀もですね。
出来れば『古事記』とも読み比べてみてください。
上記の様に主がバトルした年を想定するには『続日本紀』『日本霊異記』あたりが参考になります。
「禍神」の一族というネーミングは吉野裕子の説(『蛇 日本の蛇信仰』等)「鏡」の語源が蛇の目、つまり「カガメ」から来ている事とかけてあります。
観月の民のモチーフは雄略紀の他、『風土記』と『万葉集』にあります。
因みに、浅間サクヤが臭いでノゾミ達を見つけたのは、天皇が行く先を隼人(アカイイトでは観月の民の一族扱い)が先に歩き、吠え声を発したという事が恐らくモチーフになっているのでしょう。この事に関しては近々小説にします。
これはモチーフがあるのか、それとも何か(次回作などの?)伏線なのか解りませんでした。
アオイシロの小山内梢子さんの父親(だっけ?)が若杉の家から出た事と関連あるのですかね?
尾花ちゃんの災難
この時の若杉葛様の御姿を想像すると笑えます。
羽藤桂ちゃんの如く、再プレーで記憶を取り戻したので、その内、紅紡も書き直さなきゃと思います。
連載に二年もかかったので、書いている内に大分原作と違ってしまったところもあるので。。。
さて、どうやって辻褄合わせしようかなf^^;
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